女が制服を自ら卒業するとき。
「これ脱いじやったら、ワタシらもうオシマイだよね」
これは今どきの女子高生が高校を卒業する時にもらすせりふ。
高校の制服を脱いだら"ただの女"というわけだ。
こんなに制服の多い国は世界になく、不気味だから廃止しようという気運が高まっても、結局は根強く残っている。
日本人は男も女も潜在的に制服フェチの気をもっているに達いない。
男が制服の女を好きな理由はよくわかる。
もともとが禁欲の固まりみたいな制服と、中身のあふれんばかりの"女"とのギャップが、男の征服欲を刺激するんだそうだ。
制服が"性的"な欲求を刺激するとは皮肉な話だが、抑圧されるとよけいにふくらむのは、あらゆる欲求に共通すること。
だから制服はできるだけ崩さずキッチリ着た方が、よりHになってしまうので注意しよう。
じゃあ女はなぜ"制服の女"になりたいのか。
それは自分を"清潔"で"知的"なものに見せたいという欲求である。
逆を言えば、本当に"清潔"で"知的"な人間になった時、制服を自ら脱ぐのが女なのだ。
初めて文芸春秋という出版社に行った時、受付に座っていたのは、制服ではなく"きもの"を着た女性であった。
何と清潔で知的なのだろうと、感動する。
2回めに行った時、名のる前に「齋藤さまですね」と言われた。
さらに感動した。
女は、女として人間として"完成"すると、制服を必要としなくなるのだ。
日本の女がまるで制服のように全員同じに見えるトレンド服を脱ぐのも、その時なのである。